で有名だった。その頃の代言人(弁護士)は長髪の人が多かったが、高梨は白皙《はくせき》[#「白皙」は底本では「白晢」]美貌《びぼう》、長髪がよく似合った。

 清水異之助さんは、秀造さんの妹を細君にして、横浜で外国商館の番頭と通弁をかねていた。この人は坂東しうか(今の中村吉右衛門のお父さん歌六の弟のしうかではない、もう一代前の有名な役者)と、品川の土蔵相模《どぞうさがみ》という妓楼の娘との仲に出来た子だという。
 ある日、あんぽんたんの家の前に近所の人たちが立っていた。その人だかりの中には、日ごろは外《おもて》などへ出たこともない大問屋の内儀《ないぎ》たちも交っている。私はよそから帰って来て、なにごとだろうかと思った。それよりも小さな子供らしいことで、自分もみんなに交って、自分の家になにがあるのかと立って見ていた(見物の雰囲気がやわらかいものであったのが、子供にも安心させていたものであろう)。
 そこにはピカピカした黒塗りの車があった。車夫は勢いのいい人たちで汗をふいていた。一人はさしびきの綱を肩からかけていた。
 何が出てくるかな? と私も好奇心に待ちながめていると、横浜の清水さんが長い顔に山高帽子をかぶって出てきて、車に載った。見物人はざわついた。
「しうかだ、しうかだ。」
「松島屋だ、我童《がどう》だ。」
「違う時蔵だ。」
 みんな役者の名である。あんぽんたんは通弁さんだということを知っているからニコリと笑った。すると、通弁さんもニコリと笑った。青い顔に、薄芋《うすいも》があって鼻が高い。
 見物たちはきまり悪くもなく、しうかだの、時蔵だの、我童だのと取り廻いて騒いだ。車が曳《ひ》きだせないので、通弁さんは車の上から、
「あぶない、あぶない。」
 なんて、技巧的に、やや身を前|屈《かが》みにして、手を出して制した。そして反身《そりみ》になって車を飛ばせた。前綱は片手をグルグル振って、見送られているので得意に駈《か》けた。
 あんぽんたんがポカンとしていると、近所の女たちはいった。
「いいわねえ、あなたのとこ、役者がくるのねえ。」
 私は返事に困った。その通辞さんが、廿万円の火災保険の最初の詐欺をしたのだ。その時分日本にはまだ保険事業はなかった。外国との契約にしても早い方なのであろう。
 この事件も、どんな風にまたどう繋争《けいそう》したかということが知れたら面白くもあり、一つの記録ともなるであろうし、清水という人の性格もしっていたら書きたいが、子供心にはそうたいした事件《こと》であろうと思うどころか、覚えていたのが不思議なほどの、かすかな聞きかじりだ。老母《はは》にきいても、ぼんやりと、そんなこともあったっけというだけにしか覚えていない。
 ある朝、お父さんが新聞に眼を通していると、横浜山手の、ある商館番頭の新築の家が焼けたと出ていた。それを見ると、父は「ああ、やったな。」と叫んだと、老母は言った。
 その家には外国の火災保険がついていたのだ――
 家財はその前に運び出してある。細君は東京によこし、自分とコックだけだったのだ。だが、彼は服罪しない。獄にもいれられた。だが、保険金は手にはいったのだ。商館では腕ききな番頭なので彼の下獄に困らされて、罪にしたくないといったのだとか。
 とりとめもない記憶だが、私はこの二人の人を思出すと、時代の子という感を深くする。この人たちのそうした道にゆく心の動きと時代相を、もっとよく知ってるものにきかせてもらったならば、鬱勃《うつぼつ》たる野心と機智をもったこの男たちが、どんな気持ちで田舎侍の権官らの躍るにまかせる時代を睨《ね》めたか、一足飛びに平民の世界がくるように思えていて、その実士族の上下がひっくりかえったばかりだった世相に、才人だった彼らの不満がなかったか――



底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
   1983(昭和58)年8月16日第1刷発行
   2000(平成12)年8月17日第6刷発行
底本の親本:「旧聞日本橋」岡倉書房
   1935(昭和10)年刊行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2003年7月4日作成
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