く、このおばさんの、近代生活《モダンライフ》にグッ[#「グッ」に傍点]としたのかもしれない。
 しかし、その時分のモダンは、四布風呂敷《よのぶろしき》ほどの大きさの肩掛けをかけたり、十八世紀風のボンネットや肩に当《あて》ものをしたり、お乳《ちち》にもあてものをして、胸のところで紐を編上げたりするシミズを着て、腰にはユラユラブカブカする、今なら襁褓《おしめ》干しにつかうような格好のものを入れて洋服を着ていた時代である。江の島か鎌倉へゆくと、近所知己からお留守見舞というものをくれて帰ってくるとあの子は洋行をして来た――嘘《うそ》ではない。洋行という新時代語と、道中とか旅とかいっていたのを、洋行というむずかしい言語《ことば》で言いあらわそうとした間違いを平気で、いってみれば、あの方がダラ幹さんという方? ときく人がある、ああした生《なま》はんかな、物知り――そんな位なところなのだったのだ。もっとあとだって、昨夜《ゆうべ》は大財産をなすったなんて、財産と散財と、とんちんかんなのを、どうしても得《え》とく出来なかったものさえある。
 私の家族《うち》は御飯のとき、向側の角が祖母、火鉢をはさんで父
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