らし》――芸妓屋おとっさんの成功も、藤木さんみずから努力した運ではなかった。彼の生涯に恵まれた幸福は、服従心の強い、優しい妻と娘とをもった事だった。木魚の顔のおじいさんの老妻がいしくもいったことがある。
「親不孝者が、親孝行の子をもつなんて、誠に不思議さね。」
清元《きよもと》と踊りで売っていた姉娘お麻《あさ》に地味《じみ》な客がついた。丁度年期があいたあとだったので、彼女は地味にひいてしまった。その頃の九段坂上は現今《いま》よりグッと野暮な山の手だった――富士見町の花柳界が盛りになったのは、回向院《えこういん》の大角力《おおずもう》が幾場所か招魂社《しょうこんしゃ》の境内へかかってから、メキメキと格が上ったのだ。従って町の雰囲気も違って来た――お麻さんが選んだ妾宅《うち》は、朝々年寄った小役員でも出てゆきそうな家だった。母親は台所のためによばれていったので藤木さんの不服は一方ならずであった。
お麻さんがその妾宅で、鬢髱《まわり》をひっつめた山の手風の大|丸髷《まるまげ》にいって、短かく着物をきていたのも暫《しば》らくで、また柳橋へかえった。こんどは提灯《かんばん》かりの通勤《かよ
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