根強い悪だが藤木さんのは時代のユーモアがある。この放蕩漢兄弟は金がほしくなると種々な智恵の絞りっこをしたが、だんだんに詰って土を売ることを思いついた。
 江戸の下町でよい庭をつくるには、山の手の赤土を土屋から入れさせるのである。今のように富限者《ふげんしゃ》が、山の手や郊外に土地をもっても、そこを住居《いえ》にしていなかったので、蔵と蔵との間へ茶庭をつくり、数寄《すき》をこらす風流を楽しんでいた。一木《いちぼく》何十両、一石《いっせき》数百両なぞという――無論いまより運搬費にかかりはしたであろうが贅沢《ぜいたく》を競った。その地面に苔《こけ》をつけるには下町の焼土では、深山、または幽谷の風趣《おもむき》を求めることは出来ない。植木のためにもよくない、そこで赤土の価がよい。
 三人の兄弟がその時ばかりは志が一致する。父親が勤めに出てしまうと、なるたけ坪数のある広間、書院の床下から仕事をはじめる。自分たちでやって見たが、根《ねっ》から遊惰《ゆうだ》な男たちには、堅い土がいくらも掘りかえされないので、大っぴらに父の留守を狙《ねら》っては払いさげをやる。売る土がなくなると姉が死んだといって、蔵
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