鉄屑屋の前に立って、暗い土間の隅の釜で、活字が鉛に解かされてゆくのを何時《いつ》までも眺めたりしていた。古莚《ふるむしろ》に山と積んだ、汚ない細かい鉄屑《かなくず》が塵埃《ごみ》と一緒に箕《み》で釜の中へはかりこまれると、ギラギラした銀色の重い水に解けてゆくのを、いくら見ていても厭《あ》きなかった。それが泥の中へこぼされると、なまこ型にかたまるのも面白かった。またある板がこいの中を覗《のぞ》くと、そこは地獄のように炎が嚇々《かっかく》と燃ていて、裸の小僧さんが棒のさきへ何かつけて吹くと、洋燈《ランプ》のホヤになるので息をのんで覗いていた。小さな瓶や、大きな瓶もすぐ出来上るのを見ていたが、暑さと苦しそうなのが、この見物とは反対に、こしらえている小僧さんたちにすまなく思わせた。
表通りには鉄道馬車の線路のある日本の中央の幹線道路でありながら、牢獄《ろうごく》のあった時代からはかなり過ぎているのに、人通りがなくて、道巾の広い通りには野道のように草が生えていた。ガラス工場などは板屋根だからよけいに草が茂っていたが、瓦葺《かわらぶき》の屋根にも青々とした草が黄色い花をつけていた。
藤木氏がチ
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