と娘とが、私の祖母と母の前に並んで座っていた。あたしもそばへ行って座った。丁度父が外《おもて》から帰って来て客のまたせてある室《へや》へゆきがけに通ると、母が縋《すが》るように言った。
「おあさが小蒔屋《こまきや》へ行くことにきまりまして――」
「そうか、金助の家《うち》か?」
「さようでございます、清元《きよもと》が大層気に入りまして――踊りも質《たち》がいいと仰《おっ》しゃってくださいますので――」
藤木の細君がいった。
小蒔屋――柳橋《やなぎばし》の芸妓屋の名だった。家へも来るが、両国広小路――電車道路となったが――の、両国橋にむかって右側に、「芭蕉《ばしょう》」という大きな薬種屋があって、芭蕉の葉が一葉大きく青く彫刻した看板が棟にあげてある店だった。その薬種屋は「正久の一」という名人の鍼灸医《はりい》の家で広い店二階に一ぱい患者が詰めかけていた。正久さんは盲目だが上品な老人で、供《とも》がついて祖母のために療治に来てくれたが、なにしろ患者が多いので祖母の方から通う日も多かった。そこの待合せは所がら芸妓やや料理店《おちゃや》の人が多く、藤木夫婦の望みと抱妓《かかえ》をほしがっている小蒔屋との交渉が、おもいがけなく私の祖母から出来上ってしまったのだった。
おあさのために御馳走がならべられて、口々に褒《ほ》めた。
「おあさは孝行ものだ、親孝行だ。」
父までが藤木さんに杯口《ちょく》を与えながらいった。
「おれの家《うち》でも女の子が多いから、芸妓やをはじめると資金《もとで》入《い》らずだが――」
十《とお》ばかりの従姉《いとこ》と、私はだんまりで、二人ともこぼれない涙に瞳《め》が光っていた。おなじようにムンヅリしていたが、子供心にも思うことは違っていたのかもしれない。私は子供心には言いあらわせない反抗心がグイグイと胸をつきあげていた。その時、父も厭《いや》だった、褒めそやす母は一層憎かった。ふだんは好きな祖母も、そんな世話をしたかと思うと悲しかった。もとより、芸妓《げいしゃ》は美しいものとして、その他《ほか》の悪いことは知っていようはずもないのに、なぜだか、なんとも言えない泣きたい思いを堪えていた。
「親孝行なんて、親孝行なんて――」
なあんだ――ただそう叫びたかった。みんなにむしゃぶりつきたい、わけのわからないむしゃくしゃだった。
「そんな親孝行なん
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