ぞしたくもない。」
 そう言いたかったのだ、お金で――金のねうちを知らない子供には、物品とおなじように金で子供を売ってしまう親がただ憎かったのだ。それを褒めそやす自分の親たちがなお憎かった、厭だった。子供はもっともっと親をよく思っているのに――私はやりどころのないわびしさを従姉にむけて睨《ね》めつけた。従姉は、蝶々|髷《まげ》を光らせて、私の眼を避けてうつむいた。上から釣るされている大洋燈の灯《ひ》に、蝶々の簪《かんざし》がペカペカした。

 この下地《したじ》ッ子が、二、三年たってから、盆暮れの宿下《やどお》りに母親につれられて来て、柳橋へ帰るかえりに寄った。緋《ひ》の板〆縮緬《いたじめぢりめん》に鶯《うぐいす》色の繻子《しゅす》の昼夜帯《はらあわせ》を、ぬき衣紋《えもん》の背中にお太鼓に結んで、反《そ》った唐人髷《とうじんまげ》に結ってきたが、帰りしなには、差櫛《くし》や珊瑚珠《たま》のついた鼈甲《べっこう》の簪を懐紙につつんで帯の間へ大事そうにしまいこみ、褄《つま》さきを帯止めにはさんで、お尻《しり》をはしょった。
 私はさびしい気持でそれを眺めていた。私の着物を従姉が着るのでよけい親しみが深かったのに、なんとなくその日の従姉は私から離れていってしまっていた。おあさちゃんの体の方が借りものになって、着物や簪の方が巾《はば》をきかせていた。
 その頃になって、藤木さんの世帯《しょたい》は、すこしばかりゆとりが出来た様子になった。根岸の鶯谷《うぐいすだに》の奥の植木師《うえきや》の庭つづきの、小態《こてい》な寮の寮番のような事をしながら、相変らずチンコッきりと煙草の葉選《はよ》りの内職だった。妹娘は常磐津《ときわず》を仕込んでいたが、勝川のおばさんの方へ多くいっていた。
 音無川《おとなしがわ》を――現今《いま》では汚れた溝川になっているが――前にした、静かな往来にむかって、百姓|家《や》の角に、竹で網んだ片折戸《かたおりど》をもった、粗末ではあるが閑寂《かんじゃく》な小屋に、湯川氏のおばあさんが、ポツンと一人住んでいたころなので、私が子供のくせにふさぎ[#「ふさぎ」に傍点]の虫を起すと、母は出養生《でようじょう》の意味で、あの心持ちの至極のんびりしたおばあさんの家へ私をやってくれるのであった。
 前にはざわざわ細流《ながれ》がつぶやいている。向うの藪《やぶ》には
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