ンコッきりをしていたのもその近所だった。はじめ私が発見した時、私は藤木氏なんぞ目にも入れなかった。忙《せわ》しなく煙草の葉を揃える人の手元や、ジャキジャキと煙草の葉を刻《きざ》んでいる職人の手許《てもと》を夢中になって眺めていた。
その日の夕方、いつものように来て、藤木さんは母に呟《こぼ》していた。
「今日ってきょうは弱ったのなんのって、汗が出たね。だんまりはいいがね、いつまでもいつまでも立って見ているのだからね。こっちのほうがなにか言わなくちゃならない気がして――」
だが真から心配そうにもいった。
「あんな道草していて、稽古《けいこ》にほんとにゆくのかしら?」
その翌日あたしは、藤木さんのチンコッきりを立って見ていてはいけないと誡《いまし》められた。そのついでに母と誰かが話していたのだが、チンコッきりおじさんは、職人としても好《よ》くないのだそうだ。細君の方は目が高くて、煙草の葉を選《よ》るのにたしかで早い、大事な内職人なので、その方を手離したくないために、役にたたない御亭主も雇っておいてくれる。家《うち》でも口やかましい人が外に出ていてくれるのだから、大切に、おがむようにして出してやる。店の方でも細君の方に沢山仕事をさせたいので、機嫌をとっておいてくれるので、それでも三日目位にはあきてしまうのだと言った。
藤木さんはその頃が貧窮のどん底だったが、細君の前だけでは、封建的殿様ぶりを発揮して、怒鳴ってばかりいた。蜜柑《みかん》箱にキンタマ火鉢を入れたのが長火鉢かわりの生活《くらし》でいて、
「貴様なんぞはボテイフリの嬶《かかあ》にでもなれ。」
というのが口癖で、魚売《さかなや》は自分よりよほど身分違い――さも低級でもあるように賤《いや》しめて罵《ののし》る習慣《くせ》があったのだ。貞淑な細君は、そんな事を言われても尤《もっと》ものように押だまって辛棒強く働いていた。手跡はお家流をよく書き、腰折れの一首もものし、貧乏の中に風流を解するゆとりもあり、容貌《きりょう》は木魚の顔のおじいさんの娘なりに、似てはいたが醜くはなかった。
娘のおあさは色の黒いところと、人のよい正直者の表標のような光りをもつくせに、ちょいと見は鋭く見える眼つきを父親からもらって、母親からは祖父ゆずりのお出額《でこ》を与えられた。髪の毛の濃い小ぢんまりした小さな娘だった。
ある日、藤木夫妻
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