紫地に桜の花がらんまんと咲いて、裏には紅絹《もみ》のついているちりめんのチョン髷、しかも額《ひたい》に緋《ひ》ぢりめんの紐《ひも》の結び目が瘤《こぶ》のように乗っかっている。それで平気で煙草《タバコ》を吹かしている。その背中が真ん丸いので、あたしは拳骨《げんこ》でコツコツ叩《たた》いた。
「痛いよ、痛いよ。」
「でも猫のようだから。」
「ニャアン、鍋島《なべしま》の猫だよ、化猫《ばけねこ》だよ。ゴロニャーン。」
 彼はフーッといって、背中を見る見る盛上げた。
 それは全く奇怪な存在だった。アンポンタンはおしっこが出るほど吃驚《びっくり》して、火鉢の縁《ふち》を握ったまま、首をすくめて中腰になった彼を見詰めた。
 その頃藤木さんは、災難つづきで極度な落目だった。下谷青石横町の露路裏のドンヅマリの、塵埃《ごみ》すて場の前にいたが、隣家《となり》の女髪結さんから夜中火事を出して、髪結さんは荷物を運び出してしまってから騒ぎだした。一ツ棟だ、かえって火元よりは火廻りの早かった藤木の方が何もかも丸焼けで、垣根を破って隣裏《となりうら》へ逃出し一家《いっか》命だけは無事だった。で、神田|白銀町《しろかねちょう》の煙草問屋へチンコッきりに通うようになった。あたしたちが牢屋《ろうや》の原《はら》とよぶ、以前《もと》の伝馬町大牢のあった後の町から、夕方になると、蝙蝠《こうもり》におくられて、日和下駄《ひよりげた》をならして弁当箱をさげて、宿《とま》り番に通って来てくれたのだった。
 藤木さんはよくいろんな話をしてくれた。御上洛(将軍慶喜)のお供《とも》をしたことや、京女のこと――京女の体つきまでにせて、ヘンな京言葉をつかった。
「うつるか。」
ってやがるから、
「かさか。」
って聞いたらね、
「なにいうてやな。」
って怒りやがった。といった時、母がちらと聞いて、
「子供の前でそんなばかな事をいって。」
と立腹した。藤木さんは亀《かめ》の子のように首をすくめて、
「なにね、女郎《おやま》のはなしをしていたのですよ。女郎人形《おやまにんぎょう》なんていうと美しいが、ブヨブヨで汚ねえってね。」
 アンポンタンは藤木さんの黄色い歯を見て、どうしても京の女郎というものが美しくないとは信じられなかった。
「ねえお滝さん、女郎《おやま》がこういったんでさあ、旦那さんうつる[#「うつる」に傍点]かって
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