誰もがそうであるように、辛辣《しんらつ》な軽口《かるくち》で自家ざんぶをやる。自分自身で自分をメチャクチャにこきおろして、どうですといったふうに聴手の困るのを痛快がる。みじん見得《みえ》はないようで、そのくせ見得ばりで、それがせめて[#「せめて」に傍点]もの自棄した修飾である。鼻っぱりの強い意気地なしなのである。
 寄席《よせ》の高座《こうざ》にのぼる江戸風軽口の話口《はなしくち》をきくと、大概みんな自分の顔の棚下《たなおろ》しや、出来そくなった生れつきのこきおろしをやる。それがみんな本気だと思ったらおめでたすぎる、全部が全部みな徹底した市井《しせい》の聖人だとおもうものもなかろう、とおなじで、生活惨敗者は自己をこきおろして自慰《じい》する。そこまで察してやらないものは、厭がらせばっかりいう人だと鼻っつまみにする。あの時代の藤木さんもそんな風にとられもしたが、家のものたちも彼が小心で正直ものなのは許しきっていた。子供は変なところで対手《あいて》の直情に面してしまうものだから、対手を職業や、その折の境遇で見直したり見違えたりはしない。それにあたしがアンポンタンで無口だったということが、彼に自分の子供の前より安心させ気楽に思わせたのかも知れない。
 自宅《うち》にいると皮肉やで毒舌で、朝から晩まで女房に口小言をいっている藤木さんも、アンポンタンには馴染《なじみ》深い面白い大人だった。あたしは玄関の八畳で、角火鉢の大きなのにあたっている彼の顔を穴のあくほどマジマジと見ていることがあった。子供心には、それから十年も十五年もたった後の顔と、そんなに違わなかったように思えた。眼は青かったが、その眼は高すぎる鼻の方へ引っぱれて、猿猴《えんこう》にも似ていたが、見ようでは高僧にでもありそうな相もあった。やや下卑《げび》ていたこともたしかだった。福は内の晩に――年越しの豆撒《まめまき》の夜――火鉢の炭火のカッカッと熾《おこ》っているのにあたっている時、あたしは祖父さんの遺品《かたみ》の、霰小紋《あられこもん》の、三ところ家紋《もん》のついている肩衣《かたぎぬ》をもってきて藤木さんの肩にかけて見た。すると藤木さんは言った。
「チョン髷《まげ》に結《い》っておくれ。」
 あたしは前かけをとって、彼の頭にチョン髷を結びつけた。小僧さんのする盲目縞《めくらじま》の真黒な前かけでもあることか、
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