と、間隔《あいだ》をもって立ちならんでいたのでもわかる。震災後の市区改正で、いまでは電車の走る区域になってしまっているかも知れない。
「よくあの墓石を売らなかったな。」
と誰かいうと、このお旗本は、杯口《ちょく》を下の膳《ぜん》の上において、痩身《そうしん》の男が、猫のように丸めた背中をくねらし、木乃伊《みいら》みたいに黒い長い顔から、抓《つま》みよせた小さな眼を光らせて、
「やったさ、お前さん。」
まあお聴きといったふうに、招き猫の手つきをする。
「大《あら》いところは目につくから――ヘッ、鰻《うなぎ》だと思ってるんだね、小串《こぐし》のところをやったのでね。性質《たち》(石の)のいいやつばかりお好みと来たのさ。そうさ、姐《ねえ》さんおかわりだ、ヘイ宜しゅうってんで、なんしたんだが、あんまり大きすぎたのはいけないね、眼にたつんで、客の方が二の足でね、なにせ、だいぶお立派な方々でございまして、ヘッて、平伏《かしこま》っちまやがるんだから。ありゃいけないね、あんまりゴテゴテの戒名《かいみょう》なんぞつけたのは。子孫へ不孝っていうもんだ――なにってやがる、さんざ香《こう》このように食っといて――」
自嘲《じちょう》して、お酒をまた一口のんで、長いまばらな黄歯《きば》を出して見せて、
「いまじゃこの歯じゃ喰《く》えもしないさ。」
「鰻《うなぎ》をおあがり。」
「おおけに。」
わざと京阪《かみがた》言葉のまねをして、箸《はし》のさきにつけたこのわた[#「このわた」に傍点]を舌の上にたらす。
中の間《ま》の十二畳、蔵前の拭き込んだ板の間の方によって、茶だんすや菓子戸棚や、釣棚《つりだな》のある隅に大きな長火鉢がある。その前の座布団には、祖母か、父か、たまに母が座る。その近くに夜の洋燈《ランプ》も釣りさげられる。夏でもなければ庭にむかった縁側や、玄関前の庭にむかった肘《ひじ》かけ窓の方へ寄らず、懇意なものはみんな火鉢の方へ丸くなった。無論アンポンタンの生れた家のことで、藤木さんは此処《ここ》へくると、気さくで皮肉で、小心な正直ものだった。
彼は気の弱さと小ささからくる偽悪家だった。それは若い時は仕様《しよう》のない放蕩者《ほうとうもの》でもあったであろうが、それは時代と環境の罪もあって、彼ばかりがわるいとは言えない。ヘドッコになってしまった江戸児の末裔《まつえい》は、
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