えたものだ。」
 私は九十の老爺さんが以下だけを使って、パスしなかった事はきかさなかった。彼は恐悦《きょうえつ》の至りだと言った。
 明治四十三年の九月に佃島に津波《つなみ》が来た。京橋の築地|河岸《がし》一体にまでその水は押上げたほどで、洲崎《すざき》や月島は被害が甚《ひど》かった。庭の眺めになるほどの距離にある相生橋から越中島の商船学校前には、避難して来ていた和船《おおぶね》が幾艘《いくそう》も道路に座ってしまったほどで、帝都には珍らしい津波だった。私《あたし》の家《うち》は老人たちの丹精の小松が成長して、しっかり根をかためていたせいか防波堤《どて》は崩れなかった。海水《みず》が高いと案じ油断はしていなかったが、うとうと眠った夜中にチョロチョロと耳近く水の音をきいた。戸外《そと》の暴風雨《あらし》にはまぎれぬ音なのですぐに目が覚めた。潮入りの池は島中でたったひとつだから、これは池があふれたな、近所に気の毒だとその瞬間に思ったが、よく目を覚すとそれどころではなかった。何もかもが浮出して器物が活動している。ボンヤリしているのは人間だけだった。
 電燈は断《たた》れた。幸《さいわい》に満
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