がかい》と一口にいうが、その折|悲惨《みじめ》だったのは、重に士族とそれに属した有閑階級で、町人――商人や職人はさほどの打撃はなかった。扶持《ふち》に離れた士族は目なし鳥だった。狡《こす》いものには賺《だま》され、家禄放還金の公債も捲《ま》きあげられ、家財を売り食《ぐい》したり、娘を売ったり、鎗《やり》一筋の主が白昼大道に筵《むしろ》を敷いて、その鎗や刀を売ってその日の糧《かて》にかえた。
 木魚のおじいさんの奥方も、考えたはてに、戸板《といた》をもってきて、その上でおせんべを焼いて売りだした。一文のお客にも、
「まあまあ私《あたくし》のをお求め下さいますのですか。それは誠に有難いことでございます。」
という調子で、丁寧に手をついてお礼をいうのと、深切《しんせつ》な焼きかたなので一人では手が廻りきれないほど売れだした。
 あまり皺《しわ》のない、大きな顔に不似合なほど謙遜《けんそん》した、黒子《ほくろ》のような眼で焼き方を吟味し、ものものしい襷《たすき》がけの、戸板の上の、道ばたのおせんべやの、無愛想なのも愛嬌《あいきょう》になったのかも知れない。すると、おなじ難渋《なんじゅう》をして
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