しない夫婦は、悦びだけを受入れ、悦びの意だけを空っぽで渡した。
――あたしの母は、今でも言う、姉さんが味方が原の秋草の中を、馬に乗って美しい振袖を着ていった。これはお前にやるよといったものまでみんなもっていってしまった。お嫁にゆくとなったらケチになって、何もかも持っていった。姉さんが御奉公に出たころは、家も富貴だったので、市ヶ谷のあまざけや(有名な呉服店)で、好《この》みで染めさせたものばかりだったが、私は子供心にもこの嫁入りの仲人が変だと思った。昔のお金は小判で重いのに、包んできた水引のかかった奉書は薄っぺらで軽かった。よっぽどたって嫁入りさきにたずねていったら、連合《つれあ》いも、姑も、姉も、みんながあたしの姉さんの着物を着ていた。
無力の巧《たく》んだ一種の略奪であった。さすがの御直参湯川氏も考えさせられた。これではならないと働きものの二女を伴《つ》れて江戸へ出た。江戸には住みすてた邸《やしき》もある。池の中には何かしらが残っていよう。深川佐賀町の廻船問屋には自分の妹が片附いている。商人には障《さわ》りがなかったということが彼を心強くさせもした。
紅葉《もみじ》を踏んで箱根
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