の山も越した。以前の住家《すみか》へゆくと玄関の両側にたてた提灯の定紋《じょうもん》は古びきって以前のままだが、上方の藩の侍が住んでいて、取次の男が眼をむいて睨《にら》んだ。家財なぞしらんと――だが深川の商取引の活溌《かっぱつ》さは昔どころではなく、溌溂《はつらつ》として大きな機運が動いていた。義弟の佐賀町の廻船問屋石川佐兵衛の店では、仙台藩時代の彼の緻密《ちみつ》な数算ぶりを知っていたので手を開いてむかえた。働きものの小娘は気むずかしい伯母《おば》の小間使《こまづか》いになった。
 だが、人間をあやつる傀儡師《かいらいし》はなんといういたずらをしようとするのか、この湯川氏が、働きものの二女を芸妓に売ろうと思ったり、また、この小娘が未来に教育界の先駈者《せんくしゃ》となろうとしたのをさせなかったり――彼女に手習いを教えた女学者が、この子を養って自分の意志をつらぬかせたいと懇望したが許さなかったのだった。
 石川佐兵衛は暗愚でも、時流が廻米、廻船問屋というものを恵んだ。そこに湯川氏の数算と長年の蘊蓄《うんちく》が役に立って石川の家運はあがった。その頃の湯川氏の知己の名は自毛村《じけむら》
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