歳《とお》下なので、嘘《うそ》の年齢が出来上ったために、娘たちを妹にして幕府の人別帳《にんべつちょう》に記入して貰い、とにかく御直参にはなった。が、すぐに幕府は瓦解《がかい》した。株を売った真の徳川御家人の一人は、先見の明《めい》をほこって、小金貸《こがねかし》でもはじめたであろうが、みじめなのは、新《ニュー》湯川金左衛門邦純であった。
尤《もっと》も老爺《おじい》さんの妻の父親が、上野|輪王寺《りんのうじ》の宮《みや》に何か教えていた××安芸守《あきのかみ》という旗本で、法親王が白河へお落ちになってから建白書のようなものを書いて死んだ人であり、身寄りにも上野の彰義隊《しょうぎたい》で死んだ若ものもあったから、算盤《そろばん》をはじく武士より直参武士になれと進められたのかも知れない。とはいえ新御直参一家は、五月十六日朝の官軍上野攻めで狼狽《あわ》てた。いよいよ敗軍ときくと逃出す騒ぎで、什器《じゅうき》を池のなかに投込んだり――上野山下の商家では店の穴蔵へ入れたという――井戸へ入れておいたりして逃出した。老爺さんの二女――総領娘はある大名|邸《やしき》に御殿奉公をしていた――私の母は九
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