川氏も、自分の本質を空しくして、ただ長く生きた九十年の生涯である。
老爺さんは、湯川というのも自分の本姓《ほんせい》ではない。仙台屋敷に生れたから仙台様の藩士だろう。お留守居《るすい》役だともきいたが、廻米《かいまい》の事に明るかった。父親もその役だったと見える訳があるから、江戸で生れた東北系の人である。
廻米とは仙台領の米を船で廻してくることで、その領地米を江戸|邸《やしき》で受取る役人なのだ。江戸詰の藩士の禄高通り全部米で与えたものなのか。あるいは金に代えて渡したものなのか。よくきいておかなかった。当時の蔵前の札差《ふださし》や、浜方などとの取引関係から、数算にたけ、世估《せこ》に長じていなければならない、いわゆる世渡り上手の人物でなければならないのに、湯川氏はみいりのよい父祖の職をきらって御直参《おじきさん》の株をかった。直参といえばていさいはよいが、木《こ》っ葉《ぱ》旗本、貧乏|御家人《ごけにん》の、その御家人の株を買って、湯川金左衛門|邦純《くにすみ》となったのである。湯川という姓は無論買った家の姓で、金左衛門も通り名である。しかも、養父――名ばかりの、御家人株の売手が拾
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