きず》には貝殻へ入れた膏薬《こうやく》をつけさせていたから――洋科の医者といえばハイカラなものと思っていたあたしは、石炭酸の匂いに厳粛になり、この汚ない老爺さんに呆然《ぼうぜん》としていた。
 そのまた老爺さんの言語《ことば》がふるっている。
「長谷川|氏《うじ》は元気かな。」
 長谷川|氏《うじ》――あたしの父で、彼の婿である。常磐津《ときわず》の師匠の格子戸へ犬の糞《ふん》をぬった不良若衆で、当時でのモダン代言人である。――あたしは、彼のデコボコ頭の凹《ひく》みにたまった埃《ごみ》をながめた。

 以下、その老爺さんの生活の断片で、アンポンタンの眼に映《うつ》ったヒルムの屑《くず》である。
 すべてのことに転々とする人を見るとさびしい焦燥を他人《ひと》ごとながら感じて、石が汗をかくようなにじみだす涙がこみあげてくる時がある。生れながらの性《さが》もあろうが、ピッタリと、ものに廻りあわぬ悲しい人たちなのである。蚕でさえ心にあうところのあるまで、繭をかける場処を選んで、与えられた木の枝の、果《はし》からはしまで歩き廻る――それは何やら満されない本能の求めなのではなかろうか――老爺さん湯
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