歳だったが、男髷《おとこまげ》にしていたので小刀を差して連れられて逃げた。吉原の土手下で夜を明した時、どこのものかが名物の土手の金《きん》つばをくれたが、その大きさとうまさを何時までも忘れなかったと言った。そうしてこの新御直参一家はみずから没落し、徳川十六代|亀之助《かめのすけ》様のお供、静岡|蟄居《ちっきょ》というはめにおちた。
 品川から出た二艘《にそう》の幕府の汽船に押し積まれて静岡へまでもつれてゆかれる幾百戸かの家族、それは徳川にしても厄介ものだったに違いない、ついてゆかねばならぬというものの中には、こうした一家もあったのだ。静岡へいったからとて何の当《あて》があるのではなし、百姓泣かせがいちどきに流れこんだのだった。命と体だけを積んでもらった故、勿論《もちろん》たいしたものは持ってゆきはしない、家財はみんな捨てていったのだ――こんな時だとて、上のものの方はどうにかなったであろうが、耕す土地とてそうあろうわけはなし、無禄無扶持《むろくむふち》になった小殿様たちは、三百年の太平|逸楽《いつらく》に奢《おご》って、細身《ほそみ》の刀も重いといった連中である。忽《たちま》ちにして畑の
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