頓着《むとんじゃく》な父は、細かい計算をよく噛《か》まなかった。損徳よりもただ幾分の出資を捨る気でしたのだったろう。
 老爺さんが得意になると、今まで冷笑していた親類《みより》のものが手伝い志願を申出た。自分たちも損をしただけ取りかえそうという、御直参旗本の当主や子や孫である。
 梅干《うめぼし》幾樽、沢庵《たくあん》幾樽、寝具類幾|行李《こり》――種々な荷物が送られた。御直参氏たちは三河島の菜漬《なづけ》がなければ困るという連中であるから、行くとすぐに一人ずつ一人ずつ落伍《らくご》して帰って来てしまった。そして言うことはおなじだった。
「何しろ、一鍬《ひとくわ》いれるとプンと強く硫黄が匂うのだから、胸が苦しくって飯も食えない。」
 老爺さんの硫黄はよく出来た。しかし近間の山林は官林なので、民有林から伐木《ばつぼく》して薪《まき》を運ぶのに、嶮岨《けんそ》な峰を牛の背でやった。製煉《せいれん》された硫黄も汽車の便がある土地まで牛や馬が運んだ。東京や横浜へ送られると、運賃と相殺《そうさい》でフイになってしまう。

 その後も幾度か繰返された失敗のあとで、晩年を湯川氏夫妻は長谷川氏に引きと
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