られた。八十を越しても硫黄の熱は燃《もえ》ていた。小さい机にしがみついたまま、贅沢《ぜいたく》は身の毒になると、蛍火《ほたるび》の火鉢に手をかざし、毛布《ケット》を着て座っていた。例により珠算《たまざん》と、細かい字と、硫黄の標本をつくったり、種々にして手に入れる硫黄の一つまみを燃したり製煉したりして、庭隅に小さな釜をこしらえたりして首をひねっていた。その頃は父も閑散《かんさん》な身となって佃島《つくだじま》にすんで土いじりをしていたので、一所に植木いじりはしていたが――たまたま粋《いき》な客などが来て、海にむかった室で昼間の一酔《いっすい》に八十翁もよばれてほろよいになると、とてもよい声で、哥沢《うたざわ》の「白酒《しろざけ》」を、素人《しろうと》にはめずらしい唄《うた》いぶりをした。もう大人になっていた私が吃驚《びっくり》すると、老人の老妻は得意で、
「おじいさんは、お金を湯水のようにつかった、いきな人ですよ。」
と彼女も小声で嬉しそうに口の中で何か唄った。
「おじいさんには面白いおはなしもございますのさ。私がね、誰かの初《はつ》のお節句のおり、神田へ買ものにゆきますとね、前の方に
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