たくあんおけ》や漬け菜との同居である。あんまりの事に、こんどは私の母が不服だった。
「家からの仕送りが毎月行くのに、まるで……」
 そんな年齢でもなかったであろうに、おやそさんは鼠《ねずみ》の骨のようにほしかたまっていた。でも何かあると、例の葛籠の中に焼けのこった裾模様の派手なのを着てくるのではたのものの方が困っていた。彼女の嫁入り衣裳《いしょう》なのだから、いかに黒の紋附でも悲惨だった。
 おやそさんは忠実に雇われてきた。夜でも急用があるといえば、巾《はば》の広い木綿じまの前掛けをかけて、提灯《ちょうちん》をさげて、朴歯《ほうば》をならして、謹《つつま》しやかに通ってきた。袋物商の娘だったので、袋ものをキチンとつくった。私たちのお弁当箱の袋や、祖母の巾着《きんちゃく》を気に入るようにつくりあげた。或《ある》日、そのおやそさんが、クドクド祖母や母を説いていた結果が、六つの年からあがった長唄の師匠をとりかえられる事になった。おやそさんの姪《めい》が、杵屋《きねや》勝梅という名取りになったが、まだよい弟子がないのだというのだ。
 私の長唄のおしょさん六喜美さんは、眼玉にホクロのあるような目
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