で、背中が丸くて、猫がコウバコをつくったようなお婆さんだったが、後取《あとと》りにする内弟子のふうちゃんより、名取りのおなっちゃんより私を可愛がって、御自慢で附合|浚《さら》いに連れ廻った。鉄砲町の百瀬《ももせ》という接骨医の裏にいたが、半片《はんぺん》を三角にきって煮附《につ》けたお菜をわけてくれて、絵|硝子《ガラス》のはまった行燈《あんどん》のわきで一緒に御膳をたべさせるのを楽しみにしていた。お浚いの時は、二間の戸棚を開けはなし、中央《まんなか》の柱を上だけぬいて山台《やまだい》にする。十銭札や二十銭札――この間中あったのとは違った――が廃《や》められる時、戸棚の方へむかって、そっと勘定していたが、部厚なのを見せて、誰にもいってはいけないよといった。大きな、どてらを着ていた背中を忘れない。その親しみのある人から離そうというのだから、私は厭《いや》だといった。では、どっちのおしょさんにもやらないと母は叱った。
浪花《なにわ》町の裏にいた勝梅さんも、焼け出された一家だから、三味線よりほかなんにも持ってなかった。兄さんは叔母《おば》のおやそさんそっくりの人で、肺病かもしれなかった。だ
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