流され、昔日《せきじつ》の夢のあとは失《なく》なってしまったが、堺町、葺屋町の江戸三座が、新吉原附近に移るには間《ま》があった。古い廓のロマンスというようなものが残っていたかというと、私が知っているのは禿《かむろ》が池というのが大門通りの突当り、住吉町の地尻《じち》りにあった。今でも何か神社が残っているであろうが、かなり広い池をもった社《やしろ》で神楽堂《かぐらどう》が池の中にあった。昔日はもっともっと大きな池だったときいていたが、埋立《うめたて》られて、清元家内太夫の家や、芸妓屋や、お妾《めかけ》さんの家がギッシリと建ってしまった。向側に粋《いき》なうなぎ[#「うなぎ」に傍点]やがあったが、そうなっては掛行燈《かけあんどん》の風致《ふうち》もなにもなくなってしまった。この池に悲しい禿《かむろ》が沈んだのだということが子供心を湿らせたに過ぎない。
テンコツさん一家に対して、あまり長い前置詞であるが、この池尻りの向う一帯が、松島町という細民の部落で、その附近にこの一家が散在していたからだ。
とはいえ、私は松島町の姿を多くは知らない。よく見ておくべきだったが、子供心にはそんな欲心がな
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