、三でもあったのだろうが、一体に黒っぽいおつくり[#「おつくり」に傍点]の時代で、ことにテンコツさん一家だから花の香はなかった。大きいおうるどみすがおとよさんといって学校の先生だった。中位《ちゅうぐらい》のおうるどみすも教師だった。下のミスも先生になりかけていた。お母さんだけが台所をしていた。この女ばかりの家は用心堅固で、貧乏が入りこまないようにしていた。大きいミスの名が通りものになって、おとよ[#「おとよ」に傍点]さんの家と呼んでいた。
善兵衛がおひとよしだから姉さんはあんなになってしまってと、おやそさんは言ったが、勝梅さんのお母《っか》さんよりおやそさんの方がよっぽど貧乏性だった。
おやそさんは、あたしの祖母がなくなったとき、寐棺《ねがん》が来たら蓋《ふた》をとって見て、
「まあ結構な――どれまあ。ちょいとお初《はつ》に入れて見せて頂いて――どんな具合だかおあんばいを」
と中にはいって横に寐《ねて》て言った。
「なんて楽なことで御座《ござ》いましょう。お布団はふくふくして、なんとももうされないよい気持ちで御座います。おばあ様にあやかりまして、私も極楽|往生《おうじょう》いたし
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