主面をした七兵衛さんが、薄っ暗い家の中から出て来た。大きな顔が用向きをきいて笑った。黄色い粗《あら》い長い歯が目に残った。

 七兵衛さんはそれだけだが、大同小異の書生連の中に(通いの三百代言上り)壮士――その実遊人上りが一人、その子が一人、旗本のおちぶれ兄弟が三人、仕立屋さんが一人。
 壮士荻野六郎は達磨《だるま》のように赤黒く、毛虫|眉《まゆ》で、いがくり頭で、デップリと肥《ふと》って、見てくれの強そうな、胸をふくらましてヨレヨレの袴《はかま》を穿《は》いていた。あんまり字は読めないのだが、腕組みをしてだまっているとともかく強そうだった。強い方の役目をするのかと思うと、そうでなくって、一番奥のものに摺《す》り込んでいた。競売に立会って、せりおとしてきた細かい装身具を売り込もうとしたりして、
「嫌だなあ、そんな娘子供のものはとるな。」
と父からよく言われていた。ばかに強くなる時があって、対手《あいて》は百人でも怖《おそ》れない、先生を守るのだと力んでいたが、あたしの従兄《いとこ》の肺病の薬を自分の家《うち》へとりにゆくと、あたしを連れていったが、自分のうちの門口へくると、
「おっかさんやおっかさんや。」
と猫のように優しくよんだ。どんな年寄りが出てくるのかと思ったら、色の浅黒い、顔の長いひっつめのいちょうがえしに結った、額に青筋の出ている、お歯黒をつけた、細二子《ほそふたこ》の袷《あわせ》に黒い帯をひっかけ[#「ひっかけ」に傍点](おかみさん結び)にした女が出て来て、
「なんだ今時帰って来て――」
と突然《いきなり》どなってつづけた。
「なまけものめ!」
「そ、そんな事はない。」
 荻野六郎はドンモリになっていった。
「薬が来ているだろう。」
 女は返事なんぞしないで、困りきっていたあたしには猫撫《ねこな》で声で、
「まあ嬢《じょっ》ちゃん、御一緒だったのですか? 爺《じい》におんぶしてらっしゃればいいのにさ。なにかまうものですか。お薬とりにいらしったんだって? まあ、まあ。」
 そしてまた六郎にはどなって睨《ね》めかえした。
「わかってるよ。薬なんぞ、今時分ノソノソ取りに来たりして!」
 彼女はニヤニヤと笑って、キュッキュッと長刀《なぎなた》ほうずきを噛《か》みならしながら、
「嬢《じょっ》ちゃん、ようく覚えてらしって、祖母《おばあ》様に申上げてください、あたしが晩にもってあがろうと思っておりましたって――ひょっとこが余計なことを言っちまうから……」
 それでも縁側まで薬をもって来て渡してくれた。
「巌夫《いわお》、巌夫。」
 面胞《にきび》が一ぱいな、細長い黒い顔、彼らの一人息子で、父六郎と同職業のいささか新智識であるところの少年と青年の合《あい》の子《こ》が、母親譲りの、細い小さな眼をもって、赤いシャツを着て出て来た。
「嬢《じょっ》ちゃんのお供をして、お前、おふくろさんに薬を一度お見せもうして、それからすぐに御病人のところへもってっておあげ。」
 閑却されて、使者の役目まで忰《せがれ》に奪われた壮士は、撫然《ぶぜん》として忰に命令した。
「いちどきでは、せいが強すぎるというんだぞ。」
「よけいなことをお言いなさるな。」
 彼女はグッと睨《ね》めた。あたしが帰る時はもう、彼女は物干棹《ものほしざお》で庇《ひさし》の上の猫どもを追いはらっていた。

 巌夫は道々、半紙を四つ切りにしたのに包んだ、一服の薬について、いかにそれが霊薬《れいやく》であるかを話してきかせてくれた。多分の誇りをもって、そうした霊薬を手に入れる苦心を繰返していった。
「我々が忠義なんだね。」
 彼は子細らしく額にたらした、油でピカピカ光った毛を振りあげた。
「どうして手に入れたかとなると話が大変だが、我々は若先生にしようと思う、大学に学んだ人をあのまま殺すに忍びないからね。もう半年で卒業っていうんじゃないか。」
 それから言った。女の子なんか、鰻《うなぎ》ならメソッコみたいなもので話にならぬと――それからまた声を秘《ひそ》めていった。
「肺病には死人の水――火葬した人の、骨壺《こつつぼ》の底にたまった水を飲ませるといいんだが――それもまた直にくる事になっている。これは脳みその焼いたのだよ。」
 あたしが真青にでもなったのであろう。彼は近々と顔をよせて、小さな眼を凄《すご》めに細めて、怪談じみていた。
「僕の母は――お寺の隠亡《おんぼう》と知っているのだ。」
 巌夫は十六位ででもあったのだろう。両親がうまく取入っているので、玄関の書生は絶対におかない家なのに、何時《いつ》の間にかいるようになった。神田あたりの法律学校へ通うのに、例の赤いシャツ、夏は白シャツ一枚で小倉《こくら》の袴《はかま》を穿《は》くので、横っちょから黒い肉が覗《のぞ》きだすので子供た
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング