が袴《はかま》をはいて、三級選出区会議員を望んだのは尤《もっとも》な向上である。
 彼には妙な癖があった。「先生」とよぶと、ちょっとお耳を拝借と傍《そば》へいって、掌をひろげて扇がわりにして何かひそひそと囁《ささや》く。別段の用事でなくても誰にでもそうだが、ちょいと見にはいかにも腹心の者らしく見える。曾呂利新左衛門《そろりしんざえもん》を講釈から学んだのではないだろうが、その癖は母などをいやがらせた。
 そこの店にスリで有名になった仕立屋銀次がいた。そのころ、親方浜さんも大たぶさ、銀次も大たぶさだったかと、うろおぼえではあるが覚えている。銀次という職人は青い顔の、眼の横に長い、刀のような目附きの人だったと思う。祖母が言ったことがある、あの職人は、鼠小僧《ねずみこぞう》によく似ていると――鼠小僧は神田|和泉町《いずみちょう》にすんでいたが――区はちがっても和泉町は近かった――祖母はよく見て知っていたといった。引廻しの時も、前のうまやから馬が出て大通りを通ったが結城《ゆうき》の着物をきて薄化粧をしていたといった。



底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
   1983(昭和58)年8月16日第1刷発行
   2000(平成12)年8月17日第6刷発行
底本の親本:「旧聞日本橋」岡倉書房
   1935(昭和10)年刊行
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2003年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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