見える。そのうちに、小さな仕事――差押え解除だとか、書翰《しょかん》の写しだとか、公判の延期だとか、相当の用をもらって、彼らはもぐり[#「もぐり」に傍点]でなく、大手を振って裁判所に出入する特権を、幼くもよろこんだのであろう。
 日本橋区|馬喰町《ばくろちょう》の裏に郡代《ぐんだい》とよぶ土地があって、楊弓や吹矢《ふきや》の店が連なった盛り場だったが、徳川幕府の時世に、代官のある土地の争いや、旗本の知行地《ちぎょうち》での訴訟は、この郡代へ訴えたものとかで、その加減かどうか、馬喰町には大きな旅籠屋《はたごや》が多く残っていた。おかしなことに、古屋島七兵衛さんは、郡代の裏の、ずっと神田の附木店《つけぎだな》によった方の、小《ち》いっぽけな、みすぼらしい木賃《きちん》のような宿屋の御亭主であった。
 ある日、眉《まゆ》のあとの青いおかみさんが女の子を連れて来て、祖母にボソボソ言っていたが、またあとから白髪《しらが》の黄《きい》ろいのを振りこぼしたお媼《ばあ》さんが来た。二人はシメジメと呟《つぶや》き訴えていたが――道十郎めっかち氏が浮気をしているのだと――其処《そこ》へヒョッコリ七兵衛氏が帰って来たので稼業にせいを出さなければいけないと祖母に意見され、ヘエ、サヨサヨ、ヘエ、サヨサヨとつづけざまに上眼《うわめ》をしてお辞儀《じぎ》をしていたが、子供と三人の中へはさまれて、角帯に矢立をさした年老いた書生さんは夕暮の小路をうつむきがちにブツブツ小言をいいながら帰っていった。
「争われないもので、どうしてもポン引だ。」
と七兵衛さんの後姿を見ていったものがある。
「あれでなかなかひっかけるのだそうだから、あのかみさんもその手で引いたかな。」
 この会話は聞いていたアンポンタンを困らせた。早速質問すると、言ったものは困った顔をして、繰返して自分が教えたといってはいけないといって教えてくれた。
 ――ポン引というのはお客を釣ることで、ポッと出の田舎の人を釣るのだが、七兵衛さんは、門《かど》に立って夕方になると、宿《とま》り客をひくのだ。手前、何々屋でございます、いかがさまです、お安くお宿《と》めします。お座敷は至極奇麗ですと――
 七兵衛さんに急用が出来て使いがよびにゆくとき、あたしはコッソリ連れてってもらった。門に立ってお辞儀している七兵衛さんを予想したが、おそろしく不機嫌な御亭
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