にまとまらない。長い長い巻紙へ書き出してきたのを見ると、あたしが馬車へ乗って白無垢《しろむく》を着る――
 まだ、そこまではまず好いとして、おさげ髪、額に黛《まゆずみ》!
 ばかばかしくなって腹が立った。江戸っ子のおやっちゃんは浴衣がすきだ――ともいえなかったが――
 そういったも無理がないと思ったのは、仕立屋で博識《ものしり》で、やはり三百の組の井坂さんが話したことだが、この加頭一家の輝夫が死んだ時――もう家の書生はしていなかった――陋巷《ろうこう》に死したのだが、例の格式で、借りものの白むくの三枚重ねを女たちはみんな着たが、肝心《かんじん》のやかましやがさきへ死んだので、細君――昔の旗本何千石かの奥方は、結びがみのまま、しかも下駄を買うのをわすれて古びた日和下駄《ひよりげた》をはいていったと――

 井坂さんは類《たぐい》まれな世話やきの親切ものだった。向う新道の、例の角のおいもやさんの後の、大丸のおあぐさんの家の塀の前に住んで小僧さんと職人の三、四人がいた。暮になると人を増していた。いつも綿を入れたり、火熨斗《ひのし》をかけている女房《おかみ》さんは、平面《ひらおもて》ではあったが目に立つ顔で、多い毛を、太い輪《わ》のおばこに結っていた。岩井松之助という、その頃の女形の役者に似ている気がした。親方井坂さんは腕の好い仕立職人だが、どうもじっとして仕事がしていられないと見え町内のことから、何からかから、成田山の講元でもあれば裁判所のことにも興味をもっていた。だから、ある時は、修験者のかける大きなつぶの数珠《じゅず》を首からかけて、みけんへ深い立皺《たてじわ》をよせて真言《しんごん》秘密、九字の咒文《じゅもん》をきっていることもある。あたしの父が、悪太郎の時分からの知りあいだ。
 仕立やの店は、その実|女房《おかみ》さんのお稽古所だったのだ。常磐津《ときわず》のおしょさん[#「おしょさん」に傍点]だった文字春《もじはる》さんの家が仕立や井坂さんになったのだ。悪太郎の父は、ませていたその頃の小若衆《こわかしゅ》、井坂の浜さんが文字春さんのところへくる夜、格子の敷居に犬の糞《ふん》をぬっておいた。浜さんが意気な姿で格子をくぐって、おしょさんの前に座ると、おや、いやな匂いだといったので、笑い出しておっかけられた――そんな不良どもが、法律の先生になったのだから、仕立や浜さん
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