「閑古鳥《かんことり》」と並んで、有名な日本橋の「竜神《りゅうじん》」とは違うが維新の時国外へ流れ出てしまった、この有名な蘭陵王の面は、アメリカにあるとかいった。大丸では当時の町総代が京都までいって織らせた、蘭陵王の着用の裂《き》れ地の価値を知っているので、それを造って飾った。その日|何処《どこ》でもしたという酒樽《さかだる》のいくつかが、大丸の前にもかがみが抜いて柄酌《ひしゃく》がつけて出された。
 油町側では憲法発布の由来というような、通俗的な演説会といったふうなものを催した。そんな時にこそ大丸が会場であるはずなのだが、町内の関係で油町の加賀吉という大店で開かれた。そこはたしか山岸荷葉氏――紅葉《こうよう》門下で、少年の頃は天才書家として知られていた人である――の生家で、眼鏡や何かの問屋だった。年の暮のえびす講などに忘年芝居を催したりする派手な店で北新道のあたしの家の並びの荷蔵に、荷車で芝居の道具を出しに来たりしていた。その店が会場となり演説の卓《つくえ》がおかれた。
 そんな事はお江戸|開闢《かいびゃく》以来のことと見えて、アンポンタンの幼い頃にも忘れない不思議な光景を残している
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