も賑やかだった。下町の纏《まとい》は大概あつまって、ずっと大伝馬町から油町通りに列をひいて揃って梯子《はしご》乗りをする。それよりも大丸の年中行事は、諸国から出開帳《でがいちょう》の諸仏、諸神のお小休みだ。譬《いわ》ば嵯峨《さが》のお釈迦《しゃか》様が両国の回向院《えこういん》でお開帳だとか、信濃《しなの》の善光寺様の出開帳だとか――そのうちでも日蓮宗は華《はな》やかだった。小伝馬上町《こでんまかみちょう》に身延山《みのぶさん》の出張寺はあったが、本所の法恩寺へお開帳はもっていった。そのかえりが一日上町のお祖師様へ立寄るのだった。大万燈や、髭《ひげ》題目を書いた。ひぢりめんのくくり猿をつけた大巾《おおはば》ちりめんの大旗や、出車《だし》もでた。縮緬《ちりめん》ゆかたのお揃いもある、しぼりの揃いもある。派手を競い、華美をつくし、見ているのも足労《くたび》れるほど沢山、目印を各講中ごとに押立てくるが、そのどれもがかわらないのは、気狂いかと思うほど無中で太鼓を叩《たた》いてお題目《だいもく》をど鳴ることだった。花笠を背にしている一連もあれば、男女とも手拭《てぬぐい》を吉原かぶりにしているのも
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