ていた。冬は朝早くから寒《かん》ざらいといって長唄《ながうた》のおさらいをする。午後《おひる》っからもする。三味線の音がよく聞えるので、ソラおあぐさんはお浚《さら》いだと私も三味線をもたされるので、その方角は鬼門だった。
 その他、大丸直属の仕立屋や縫箔屋《ぬいはくや》が幾軒かあった。店蔵づくりの、上方《かみがた》風の荏柄《えがら》ぬりの格子窓で、入口の格子戸の前に長い暖簾《のれん》が下っていた。帯ばかりくける[#「くける」に傍点]家もあった。天水桶《てんすいおけ》があって――桶といっても上に乗っている手桶だけ木で、下の天水桶は鋳鉄《いもの》が多かった。かなりいい金魚が飼ってあるので、金網を張ってあるのもあった。その一軒の大仕立屋におしゅんさんという美しい娘がいて、上方風の「油屋お染」のような濃艶《のうえん》なおつくりしていた。面長《おもなが》な下《しも》ぶくれな顔に黒い鬢《びん》を張って、おしどりに結って緋《ひ》鹿《か》の子《こ》の上を金紗《きんしゃ》でむすんでいた。つまみの薬玉《くすだま》の簪《かんざし》の長い房が頬の横でゆれて、羽織をきないで、小さい前かけ位な友禅《ゆうぜん》ちり
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