符牒は、
お菓子なれば「きしるし」という。おそばなれば「とくいし」という。御飯なれば「ふしんかた」という。肴《さかな》なれば「またろ」という。(肴《またあい》)かもしれません。
大門通り右側に、たはらや(田庄)呉服大問屋、大丸その他へおろし店。そのさきに市田、これも大問屋、市田の方は多く織ものと模様もの、上々品ばかり、人形町その他の呉服店へおろす。
大門通り左側は角からずっと金物店ばかり、この辺を通ると店々にならんでいる番頭若者らが、よき女子の時は煙草盆《タバコぼん》のはいふきを二ツ叩《たた》く。それをまた隣りの店で二ツたたき、つぎつぎに知らせるのです。大丸のまむこうに、大丸出入りの菓子や「かめや」あり、旅籠町《はたごちょう》通りに大丸とならんで大丸の糸店《いとだな》と扇店があり、「みすや針店」のとなりが森田清翁という、これも出入りの菓子や。十月十九日べったら市の日には店へ青竹にて手すりを拵《こし》らえ、客をはかって紅白の切山椒《きりさんしょ》を売りはじめます。たいした景気、極々よき風味なり。向側の「かめや」にても十九日にはやはり青竹にて手すりをこしらえ、柏餅《かしわもち》をその日ばかり売ります。エビス様の絵の団扇《うちわ》を客にだしました。この家は神田小柳町からの大火で店蔵をおとして、主人が気が変になって、四、五年の後店もなくなりました。通油町《とおりあぶらちょう》の大通りの向う側の横町は南新道、それとならんだ通りが大丸新道、この一丁は、大丸の土蔵の窓――裏側なのです――に金網が張ってあり、湯殿も、台所もみなおなじ。
以上、老母からの手紙は、辿々《たどたど》しい文ではあるが、大丸という大呉服店を通して、そのうらのお店《たな》ものの奴隷生活がうつしだされている。一年に一度の、この目覚ましい慰安的な、解放したようでその実解放しない、人目を眩《くらま》す華々しいやり方と、終りの方に書いてある、窓々の金網のことを見すごすことは出来ない。
あたしは震災の幾年か前、ある怪談会が吉原水道|尻《じり》の引手茶屋《ひきてぢゃや》で催された時にいって、裏の方から妓楼《ぎろう》の窓を見たことがある。そこにも金網が張ってあった。娼妓《しょうぎ》の逃亡を怖れてだといったが、それより幾年前、帝都の中央《まんなか》の日本橋に、しかも区内のめぬきで中心点である士地ゆえ、日本国の中心と
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