ある。胸で小意気に結んでいるのもある。
その人たちが――無数な人たちが、一時大丸の店を一ぱいに占領してお中食《ちゅうじき》をする。それから一休みして順繰りにくりだす。先頭が両国橋へかかる時分に、まだ中頃のが足揃いをしている。御本体が出て、お茶湯《ちゃとう》が一番最後に出てゆく。
ある日もアンポンタンはおまっちゃんと四ツ角で、その大人の、目覚《めざま》しい狂奔《きょうほん》を見物していた。すると、帝釈様《たいしゃくさま》の剣に錦地《にしきじ》の南無妙法蓮華経《なむみょうほうれんげきょう》の幟《のぼり》をたてた出車《だし》の上から声をかけたものがある。
「ヤッちゃん、手を出して――はやく乗った、乗った。」
学校友達の古帳面屋のお金ちゃんのお父さんだった。その人は背の高いキレイナ人で、清元《きよもと》のお浚《さら》いの時に山台《やまだい》に乗って、二、三人で唄《うた》っていたことがあって、みんなにオシイー、オシイー、とほめられた人だった。その時はじめて清元とは首を振って唄ってしまうと、おしいーと長くひっぱってほめられるものだということを知ったのだった。金坊のお父さんは、講中の世話役だから橘《たちばな》のもようのお揃いの浴衣《ゆかた》を着て、茶博多《ちゃはかた》の帯をしめて、お尻《しり》をはしょって、白足袋の足袋はだしで、吉原かむりにして襟に講中の団扇《うちわ》をさしていた。
あたしたちは吃驚《びっくり》しているうちに、見物が抱上げて出車《だし》の上の人たちの手に渡してくれた。無論上にはお金坊もおよっちゃんもいた。妙に晴がましかったが、押上げてくれた人たちが不思議とほこらしげにニタニタ笑っていた。日傘ほどの大きな団扇で誰かが煽《あお》いでくれる――お金ちゃんのお父さんは首から拍子木《ひょうしぎ》をかけていて、止るところや何かで鳴らした。火の用心と赤く書いてある腰にさげた袋から煙草《タバコ》を出して吸った。行列が深川の高橋にかかった時、あたしは橋の上から後の方を見渡して、誰もほかに知ったものはなし、何処《どこ》につれてってしまわれるのかとホロホロして帰してくれとせがんだが、もう仕用がないときかれなかった。
憲法|発布《はっぷ》の時、大丸では舞楽の「蘭陵王《らんりょうおう》」の飾りものをした。これは日本橋油町の鉾出車《ほこだし》にあったもので、神田田町の「猿」、京橋の
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