めんの小ぶとんに、緋ぢりめんの紐《ひも》のついたのを背にあてて、紐を胸でむすんでさげていた。その女《ひと》が狆《ちん》を抱いて、夕方遊びに出るのを見るのがあたしは大好きだった。
 大丸の小僧はみんな馬鹿なのかと思ったことがある。大きな姿《なり》をして、頭髪をおかっぱのようにして、中には胸にあぶらや[#「あぶらや」に傍点]のような茶色の切れをかけていた――お茶盆をもって、アーアーと節をつけて、店のはなっさきを行ったり来たりしていたからだ。アーアーというのは、おはいりという事なのだといったが、眺めていると好い気持ちではなかった。
 大丸と向いあった角に仏具屋があって、その横に交番があったが、ある日引っこしをした。人夫が交番へ丸太ン棒を通して担いでいってしまったので吃驚《びっくり》した。でも交番がとれて四ツ角が広くなったのは具合がよかった。何事もみんな物珍らしいことはこの四ツ角に立って見物する最上の場所だったから――
 住吉踊《すみよしおどり》の一隊が来てかっぽれを踊ると、大きな渦になって見物がとりまいた。梅坊主《うめぼうず》の連中は夕方にやってくるのでよく人が寄った。お正月の出初《でぞめ》も賑やかだった。下町の纏《まとい》は大概あつまって、ずっと大伝馬町から油町通りに列をひいて揃って梯子《はしご》乗りをする。それよりも大丸の年中行事は、諸国から出開帳《でがいちょう》の諸仏、諸神のお小休みだ。譬《いわ》ば嵯峨《さが》のお釈迦《しゃか》様が両国の回向院《えこういん》でお開帳だとか、信濃《しなの》の善光寺様の出開帳だとか――そのうちでも日蓮宗は華《はな》やかだった。小伝馬上町《こでんまかみちょう》に身延山《みのぶさん》の出張寺はあったが、本所の法恩寺へお開帳はもっていった。そのかえりが一日上町のお祖師様へ立寄るのだった。大万燈や、髭《ひげ》題目を書いた。ひぢりめんのくくり猿をつけた大巾《おおはば》ちりめんの大旗や、出車《だし》もでた。縮緬《ちりめん》ゆかたのお揃いもある、しぼりの揃いもある。派手を競い、華美をつくし、見ているのも足労《くたび》れるほど沢山、目印を各講中ごとに押立てくるが、そのどれもがかわらないのは、気狂いかと思うほど無中で太鼓を叩《たた》いてお題目《だいもく》をど鳴ることだった。花笠を背にしている一連もあれば、男女とも手拭《てぬぐい》を吉原かぶりにしているのも
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