針仕事をしにくるのもある。息子さん連もまじっていたようだが、子供心にも、そんな青い、ウジョウジョしていた男の子は軽蔑《けいべつ》したからよく覚えていない。
校長秋山先生は、台所口の一枚の障子のきわに納まって、屏風《びょうぶ》をたて、机をおき――机の上に孔雀《くじゃく》の羽根が一本突立っていた。火鉢の鑵子《かんす》の湯をたぎらせお茶盆をひきよせて、出来上った人の格好を示してた。山茶花《さざんか》の咲く冬のはじめごろなど、その室の炭の匂《にお》いが漂って、淡い日が蘭《らん》の鉢植にさして、白い障子に翼《はね》の弱い蚊《あぶ》がブンブンいっているのを聞きながら、お清書の直しに朱墨《しゅずみ》の赤丸が先生の手でつけられてゆくのを見ていると、屏風の絵の寒山拾得《かんざんじっとく》とおんなじような息吹《いぶき》をしているように、子供心にも老人の無為の楽境を意識せずに感じていた。
さて教場の方は? これは区役所の控所とも、授産場とも、葬儀場ともいえる。後には六人一並びぐらいの板張り机になったが、各自《めいめい》寺小屋式の机を持っていたころ、あたしが一年生時分は放り出しておく幼稚園といってよかった
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