御新造さんが、番茶を酌《く》み入れてくれるのをみんながとりにゆくのだった。
ところがこの二、三日、午飯時《おひるどき》になると、きっと誰かしらのお弁当が紛失《なくな》っている。今日も眼玉の廂《ひさし》とあだなされている、あたしの妹の分がなくなった。
年子《としご》のようなあたしの妹は、一年ばかり間をおいて学校へ上った。色の白い涼しい眼の子だが出額《おでこ》なので前髪を深くきってさげていたので、眼玉の廂といわれていた。男の子なんぞに負けないので憎まれっ子でもあった。
お附きの女中のついてくる、八畳の間の方のお嬢さんは、下駄箱も特別なら、課業も午前《おひるまえ》ぎりでお迎えがくるので、お前もまだ年がゆかないから午前《おひるまえ》だけにしろと祖母にいわれたのにきかないで、お弁当にしてもらったばかりの、初の日に奪《と》られたのだった。
おまっちゃんは糸で編んだ網に入れてある、薄い硝子《ガラス》の金魚入れから水が洩《も》って廻るように、丸い大きな眼に涙を一ぱい溜《ため》て堪《こら》えていた。奪られたお弁当箱は、祖母が根負けして買ってくれた朱塗《しゅぬ》りの三ツ重ねの、小《ち》いさい丸いので、女中が持ってきて置いていったばかりのだった。中身には御飯の上に煎鶏卵《いりたまご》と海苔《のり》をかけて、隠元豆《いんげんまめ》のおかずに、味噌漬がはいっている約束になっていたのだ。お弁当の袋をとるのが待遠しくってならなかったのだった。となりにならんでいる女の子と、副食物《おかず》の分配《わけ》っこの相談までしてあったのに――机の上には、新らしい小さな箸箱《はしばこ》と茶呑《ちゃのみ》茶碗が出ている――
おまっちゃんは露路の方を睨《ね》めて泣きたいのを堪えていた。大紙屋の白壁蔵の壁には大きな亀裂《ひびあと》があって、反対の算盤屋《そろばんや》の奥蔵は黒壁で、隅の方のこんもりした竹が冷《すず》しく吹いている。石榴《ざくろ》の花は赤く散りこぼれている。
女中がお弁当を持ってきた時に、
「御飯が炊《た》きたてですから、悪くならないように、風通しのよい場処へお置きなさいまし。」
と念をおしていった。それでおまっちゃんは竹の風の吹く、窓の敷居の上へのせておいたのだった。昨日|奪《と》られた子も、一昨日《おととい》奪られた子も、窓に近いお座《ざ》だった。
あたしは自分のお弁当をおまっちゃんに持っていってやったが、おまっちゃんは見向きもしないで、窓に石盤《せきばん》をのせて、色石筆《いろせきひつ》であねさまを絵《か》いていた。あたしも仕方なしに佇《たたず》んでいた。すると、窓に並んだ勝手口の方で、カタンと金属《かなもの》の音がした。あたしも見た。おまっちゃんも見た。
露地の出口を乞食《こじき》のような老人《としより》が出てゆく後姿が見える。その老人のさげてゆくものがカタンカタンと鳴る。
「鍋《なべ》が――鍋が、鍋が。」
おまっちゃんは出来るだけの声をだした。
秋山先生は御飯後の苦いお茶を喫《の》んで、蘭《らん》の葉色を眺め入っていた。
老人は溝板《どぶいた》をドタドタと駈出《かけだ》した。鍋がガチャンとぶつかった音がした。台所からも御新造さんが怒鳴りだした。生徒たちもワーッと声をあげた。
秋山先生は袴《はかま》の股立《ももだ》ちをとって飛出した。生徒もみんな加勢に飛出した。表通りからも、裏通りからも、番頭さんや小僧や、権助《ごんすけ》さんまでが火事と間違えて駈けつけてきた。
泥棒はあわてて、向う裏へ逃げこんだが、それでも鍋はさげているので、逃げだした道筋には味噌汁がこぼれていた。老人《としより》の泥棒はまごついて外後架《そとごうか》へ逃込んで、中から戸を押《おさ》えていた。先生は持っている鞭《むち》で、戸をはたいて、
「出ぬか、出ぬか。」
と怒鳴った。見物の弥次馬《やじうま》は笑ったが、生徒たちは真面目《まじめ》で先生のいう通りに怒鳴った。そうすると泥棒は体をかくしたまま、戸の上から鍋だけさしだした。先生はその手首をグイとひいたので、味噌汁《おつゆ》を肩から浴びてしまったが、カッとした勢いで引出したので、汚い老人はブルブル顫《ふる》えながら出てきた。
先生は勝誇って揚々《ようよう》と、片っぽの手に鍋をさげ、片っぽの手で老人の肩をひっつかんで引摺《ひきず》った。大得意で先生は大通りを人形町の交番へと、老人を引渡しにいった。生徒も弥次馬も後からぞろぞろとつづいた。
おまっちゃんもあたしもその時だけは先生を憎んだ。なにをきかれても答えなかった。
祖母は秋山先生一家を信頼しきっていた。時折訪問したが、孫たちの方へは目もかけずに帰った。台所口から家の使《つかい》が、お盆へ乗せてふくさ[#「ふくさ」に傍点]をかけたものを持って来ていたが、厳
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