るのは、試験ということは学校へお赤飯を食べにゆくことだと思ったほどだから、お手数《てかず》だったと見える。近所の小学校の校長たちがむずかしい顔をして控えている前へいって試験されるので、なるべく級の中から出来そうなのが前の方にならび、他校《よそ》の校長の眼の前でやった。前々日に下ざらいは出来ているのであるが、秋山先生の弟子|煩悩《ぼんのう》は有名で、自分の方が終日ハラハラしていた。みんなその日はめかしていった。三枚重ねを着て、さしこみのついている鼈甲《べっこう》の簪《かんざし》や、前がみざしをさしている娘は、褄《つま》を折返してキチンと座っていた。男の子は長い袖の黒紋附の羽織、袴《はかま》を穿《は》いていた。
黒いぬり盆へお赤飯とおにしめが盛りつけられた。出来ない男の子は、食べてしまうとそっと釣にいって、いつまでも帰って来なかったりした。校長さんたちの分は、大皿のお刺身などがとってあった。
洋算などは、大概なところで秋山先生が一人に答えをいわせ、
「出来たか。」
というとみんなが手をあげる。それで済《す》みなのだった。他《よそ》の老人《としより》の校長などは居ねむりをしていた。
暮《くれ》のお席書《せきが》きの方が、試験よりよっぽど活気があった。十二月にはいると西《にし》の内《うち》一枚を四つに折ったお手本が渡る。下の級は、寿とか、福とか、むずかしくなると、三字、五字、七字――南山寿とか、百尺竿頭更一歩進《ひゃくしゃくかんとうさらにいっぽをすすむ》とかいうのだった。
課業はすっかりやめてしまって、その手習にばかりかかる。そしてお墨すりだ。
――あたしのは丸八の柏《かしわ》墨だ。
――あたしのは高木のいろは墨だ。
――だめだ、いろは墨は、弘法様のでなくっちゃいけない。
そんな事を各自《てんで》に言って墨を摺《す》る。短かくなると竹の墨ばさみにはさんでグングンと摺る。それを大きな鉢に溜《た》めてゆくと、上級の子がまたそれを濃《こ》く摺り直す。
――こうやると好《い》い香《におい》になる。と梅の花を入れる子もあった。早く濃くなるようにと、墨をつけて柔らかくしておくものもあった。
――ばりこ[#「ばりこ」に傍点]になるよ。とそれを嫌がるものもある。
商家《しょうか》の町なので年の暮はなんとなく景気がよい。学校へも、お砂糖の折だの、みかんの箱だの炭俵だの、供餅《おそなえ》だのが沢山もちこまれる。お席書がすめばその日から休みで、かえりには蜜柑《みかん》がもらえる。
二枚書いて、一枚は学校にずらりと張りつけ、一枚は家へもって帰る。親たちは、居間や、客間や、または、あたしの家などは玄関へ自慢で張る。
この秋山先生も書《かき》もらしてはならない人だ、学校そのものもまた! そして年の暮のことどもも――
柏墨の「丸八」は大伝馬《おおでんま》町三丁目の老舗《しにせ》で、立派な土蔵造《どぞうつ》くりの店だった。紀文に張りあった奈良奈の家《うち》だのなんのときいていた。「大晦日草紙《おおみそかぞうし》」とかいったように覚えているが、くさ双紙《ぞうし》に、若い旦那《だんな》の色里《いろざと》通いを、悪玉がおだてている絵があって、お嫁さんが泣いているのを見たとき、丸八の先代のことだとかいった。後に、春の絵の本を見たら、香字という大尽《だいじん》に張りあう高総という大尽のことがあった。それも多分「丸八」のはなしだとかきいていた。その事実は知らないがとにかく、そんなにまで豪奢《ごうしゃ》な、派手なことがあったうちと見える。
底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日第1刷発行
2000(平成12)年8月17日第6刷発行
底本の親本:「旧聞日本橋」岡倉書房
1935(昭和10)年刊行
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2003年4月2日作成
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