し》と、みみかきのついた後差《うしろざ》しをさした。鏡台の引出しには「菊童《きくどう》」という、さらりとした薄い粉白粉《こなおしろい》と、しょうえんじがお皿に入れてあった。鶏卵《たまご》の白味を半紙へしいたのを乾かして、火をつけて燃して、その油燻《ゆくん》をとるのに、元結《もとゆい》でつるしたお小皿をフラフラさせてもたせられていたことがあった。ある時、お皿の半分だけしか真黒《まっくろ》にならなかったが、アンポンタンらしい理屈を考えた。どうせ、毎日おばあさんが拭《ふ》いてゆくのだからと――今思えば、それが眉墨《まゆずみ》であったのだが――
祖母は身だしなみが悪い女《ひと》を叱った。
「おしゃれではないたしなみだ、おれは美女だと己惚《うぬぼ》れるならおやめ。」
文化生れのこの人は、江戸で生れはしなかったが、江戸の爛熟期《らんじゅくき》の、文化文政の面影を止《とど》めていた。万事がのびやかで、筒っぽのじゅばんなど、どんなに寒くても着なかった。
ある年九月廿日、芝の神明様《しんめいさま》のだらだら祭りに行くので、松蔵の俥《くるま》に、あたしは祖母の横に乗せられていた。紺《こん》ちりめんへ
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