《や》せてはいたが色白な、背の高い女で、黒じゅすの細い帯を前帯に結んでいた、小さいおちょこで二ツお酒をのんで、田所町の和田平か、小伝馬《こでんま》町三丁目の大和田の鰻《うなぎ》の中串を二ツ食べるのがお定《きま》りだった。
祖母のお化粧部屋は蔵《くら》の二階だった。階下《した》は美しい座敷になっていたが、二階は庭の方の窓によせて畳一畳の明りとりの格子《こうし》がとってあり、大長持《おおながもち》やたんすその他の小引出しのあるもので天井まで一ぱいだった。中央の畳に緋毛氈《ひもうせん》を敷き、古風な金《かね》の丸鏡の鏡台が据《すえ》てあった。
三階の棟柱《むなばしら》には、彼女の夫の若かった時の手跡《しゅせき》で、安政三年長谷川卯兵衛建之――と美事《みごと》な墨色を残している。その下で八十の彼女は、日ごとに、六ツ折りの裾《すそ》に絵をかいた障子屏風《しょうじびょうぶ》を廻《めぐ》らし黒ぬりの耳盥《みみだらい》を前におき、残っている歯をお歯黒で染めた。銭亀《ぜにがめ》ほどのわりがらこに結って、小楊子《こようじ》の小々太い位なのではあるが、それこそ水の垂れそうな鼈甲《べっこう》の中差《なかざ
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