二、三日のうちに三人もいなくなってしまった。
 この西川屋一家も以前《もと》は大門通りに広い間口を持っていた。蕎麦屋の利久の斜向《すじむか》いに――現今《いま》でも大きな煙草《タバコ》問屋があるが、その以前は、呉服|用達《ようた》しの西川屋がいたところである。そこの主人《あるじ》はあたしの祖母の兄で、早くから江戸に出ていた。先妻に縹緻《きりょう》よしの娘を生ませたが、奥女中|上《あが》りの後妻が継児《ままこ》いじめをするので、早くから祖母の手にひきとられ、年下のあたしの父の許嫁《いいなずけ》となった。
 後妻は由次郎、鉄五郎、おたけさんを生んだ。父親が歿《なく》なると、男振りのよい忰《せがれ》たちは直《じき》に店をつぶしてしまった――尤《もっと》もそれには御維新の瓦解《がかい》というものがあった故《せい》もあろうが――二人の忰はありったけの遊びをして、由次郎はコレラでなくても長くは生きないようになっていた。
 鉄さんが鉄公になったころは散々で、もう仕たい三昧《ざんまい》の果だった。賭博場《ばくちば》を軽《ころ》げ歩き、芸妓屋の情夫《にい》さんになったり、鳥料理《とりや》の板前になったり、俥宿の帳附けになったり、頭《かしら》の家に厄介になったり、遊女《おいらん》を女房にしたりしているうちに、すっかり遊人風になり金がなくなると、蛆虫《うじむし》のように縁類を嫌がらせた。
 この男、あたしの目に触れだしたのは、越前堀《えちぜんぼり》のお岩|稲荷《いなり》の近所に何《な》にかに囲われていたころだった。染物屋《こうや》の張場《はりば》のはずれに建った小家で、茄子《なす》の花が紫に咲いていた。白っぽくって四角い顔のお婆さんが、鉄の悪口をグショグショと祖母に語っていた。でも、その時分鉄さんは、父に用事を言いつけられると、ヘイ、と分明《はっき》り返事をして、小気味よく小用をたしていた――尤もむずかしい仕事ではない、家のなかの雑用だが――彼は見かけだけは稜々《りょうりょう》たる男ぶりだった。ちょっと類のすくない立派な顔と体をもっていた。面長な顔に釣合った高い鼻、大きなきれの長い眼、一口に苦味走った男だったが、心根は甘かったものと見える。母親が、夜になると忍ぶようにして勝手口からたずねてくると、祖母の膝《ひざ》の前にうずくまって恵みを願っている。その女が帰ってしまうと祖母は溜息《ためいき》をついて、
「えらい女《ひと》をもらってしまって、あの女《ひと》のために西川屋もつぶれた。あの女の心がけがわるいからだが――」
 だが、奥女中姿の裲褂《かいどり》で嫁に来た時はうつくしかったと、不便がって貢《みつ》いでいた。
 ある日祖母は、例によって私をつれて、山の手の坂のある道を行った。富坂というところだと松さんは言った。露路へはいりながら、しどい場処《ところ》ですといって番地と表札をさがしたが、西川鉄五郎の家はどうしても知れないので空家《あきや》のような家で聞くと、細い細い声で返事をした。
「此処《ここ》でございます、此処でございます。」
 祖母は松さんに手をとられてはいっていった。畳もなければ根太《ねだ》も剥《は》いである。
「御|隠居《いんきょ》さん」
 戸棚を細目にあけてそう言ったのは、二、三日前の晩、袢纏《はんてん》を紐《ひも》でしばって着てきて、台所で叱られていた女だった。
「座るところはなくともよいから出ておいで。」
 祖母はそう言ったが、やがて、モゾモゾと半裸体の女が這《は》い出してきた。
「やれやれ、まあ!」
 呆《あき》れた祖母は、俥に乗せてきた包みを松さんに取りにやった。
「お前をそんなにして投《ほう》りだしておいて、鉄の人非人は何処《どこ》へいった。」
というと、褌《ふんどし》ひとつで戸棚から、
「面目も御座《ござ》いません。」
と這出してきた。そして、祖母が救いに来たのだと知ると、一昨日の晩、女が死ぬような病気で、どっと寝ておりますといったのは、二人《ふたり》ともすっかり忘れてしまって、裸でも元気な調子でともかくやりきれないという事を、子供のあたしにも面白くきかせるほど巧みにしゃべりたてた。
「よし、よし。貴様はのたれ死しようと勝手だが、女子《おなご》はそうはゆかぬ。」
 祖母がいるうちに、米屋からは米がはこばれ、炭屋からは炭がきた。松さんが運んだ包みから出た着物を女は着た。
 鉄さんは景気よく根太のつくろいをして、戸棚の中に敷いていた花莚《はなむしろ》をおき、松さんは膝掛《ひざか》けを敷いて祖母とあたしのいるところをつくった。
 こんな処へ来ても、人ぎらいをしない祖母は、てんやから食物《たべもの》をとって、みんなで会食した。酒が廻ると鉄さんは、どんなふうにして大屋をこまらせてやったとか、畳は売ってしまって、根太は薪《まき》のかわり
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