と言った。逢いたいにも逢いたかったが、世話になる部屋の若い者に礼をしてくれと頼むのだった。

 さて、
 イッチク、タイチク、タエモンドンの乙姫《おとひめ》さまが、チンガラホに追われて――
などと、大きな声で唄《うた》いつれていたアンポンタンも小学校へあがる時季が来た。そのころは勝手なもので、六歳でも許したものだった。尋常代用小学校といっても小さく書いてあるだけで、源泉学校だけの方が通りがよかった。重《おも》に珠算《しゅざん》と習字と読本だけ、御新造《ごしんぞ》さんも手伝えば、お媼《ばあ》さんもお手助けをしていた。
 引出しが二つ並んでついた机を松さんが担いで、入門料に菓子折を添え、母に連れられて学校の格子戸をくぐった。先生は色の黒い菊石面《あばたづら》で、お媼さんは四角い白っちゃけた顔の、上品な人で、昔は御祐筆《ごゆうひつ》なのだから手跡《しゅせき》がよいという評判だった。御新《ごしん》さんはまだ若くって、可愛らしい顔の女だった。
 格子戸をはいると左に、別に障子を入れた半住居の座敷があって、その上の二階は客座敷になっていた。先生は怖《こわ》いから大変年をとった人だと思ったが、多分三十位だったかも知れない。お媼さんは先生のことを秋山が秋山がと言った。
 翌日からみんなと机をならべるのだった。お昼すこし前になると、おみやげのお菓子を配った。今朝登校のときに松さんがもって来た大袋四ツが持出されて、うまい具合に分配されてゆくのだった。世話やきの子供が幾人かで、全校の生徒の机の上に、落雁《らくがん》を一個二個ずつ配ると、こんどは巻せんべを添えて廻る。その次は瓦煎餅《かわらせんべ》という具合にして撒《ま》ききるのだ。
 母の覚え書きがあるから記しておこう。
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於保《おやす》手習《てならい》初メ
金五十銭に砂糖折
外《ほか》に子供衆へ菓子五十銭分。
そのほか覚。
一月年玉分    五十銭
七月盆 礼    五十銭
試験       七十銭
月謝       三十銭
年暮       玉子折
年玉       五十銭
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外に暑寒
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 なんと安価なものではないか。しかし、お豆腐は一丁五|厘《りん》であったのを、お豆腐やの前で読んだから知っている。お米のねだんは知らないから書くことが出来ない。
 試験が割合にかか
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