遊女歌舞伎たち、ここに船をうかべて宴を催し、「江戸雀」には、納凉の地といひ、舟遊びの船に、波のつづみ、風のささら(びん簓を言ひかけてか)芦の葉の笛吹きならしとある。太宰春臺は、
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風靜叉江不起波   輕舟汎々醉過
天遊只在人間外   長嘯高吟雜掉歌
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と賞してゐるが、傾城高尾が舟中で仙臺樣になぶり斬りにされたつるし斬りの傳説もこの三派《みつまた》だ。
 萬治元年、ここにあつた、本ぐわんじ御堂は築地濱に移轉したとあるから、前年の大火事にもその年の正月の大火にも燒失したであらうが、參詣人は多《おほ》かつたことと思はれる。
 新大橋の日本橋區|側《がは》の方をいつてみると、人形町通、および大門通《おほもんどほ》りの舊吉原(元和三年に商賣はじめ)と歌舞伎芝居の勢力を見逃すことも出來ず、魚市場、金座、大商賣、本丸も控えてゐる。ここの吉原も大火に燒けて淺草へ移つたのだ。芝居が淺草へ移つたのはずつと後のことだ。
 流《なが》れにそつて京橋區内にはいると、靈岸島|湊町《みなとちやう》に御船手番所があり、新川《しんかは》三十間堀には酒醤油の問屋と銀座があり、
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