、薄い人通りで、夜更けになると、ありのままの、好い人間たちが遠慮なく通つてゆく。
 ここへ、そんなことを思ひくらべたと書くのは、誠にをこがましいが、私は幾度か思つた。源氏が六條のほとりの、夕顏の宿《やど》に寢て、はしぢかにきこえてくる、物賣りの聲や、町人の話聲や、夜明けに隣家の下僕が嚔をするのや、唐臼《からうす》の音がとどろいてくるのや、螽※[#「虫+斯」、第3水準1−91−65]《こほろぎ》が枕上ちかく飛んでくるのを見るあたりの、あの心持や、その書きかたが心憎いほどにまざまざと浮びあがつてくるのだつた。
 大殿《おほいどの》の奧深くにばかりゐる、あの源氏といふ貴人《あてびと》は、どんなにか、つくろはぬ民《たみ》の聲に心をひかれたことだらう。普通人の生活といふものを、その女のところではじめて知つた、深い、消《け》せない思ひ出があればこそ、果敢《はか》なく果《は》てた、夕顏の宿の女も心にのこつて、いつまでもいつまでも消えなかつたのだ。その住居から來た特殊なうらづけが、他《ほか》の女とは異なつて心を牽くものだつたのだなと、思ひあたると、作者の用意ぶかさ、紫式部の偉さを思ふばかりだつた。
 
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