を着た女の感じを、魅惑的のものとして理想するのと同樣に、時代の好みが、ひつかけ[#「ひつかけ」に傍点]から遠ざかつてゐるので、意氣好みの女《ひと》からさへあまり注意されないからであらう。藝妓屋の晝間でも、黒繻子の片側のひつかけ[#「ひつかけ」に傍点]よりも、その多くは、細い帶をキチンと結んでゐるやうになつてゐる。
 菊次郎も晩年、六代目の相手で世話ものを得意としたゆゑ、ひつかけ[#「ひつかけ」に傍点]は下手ではなかつたが、それでもどこか世帶じみた結びかたであつた。

 帶の結びかたと半襟の合せかたは、せまいわたしの目の前だけでも、かなり移りかはりを示してゐる。舞臺の女《ひと》が、老若、時代にかまはず、無神經に結び目を脊中にくつつけてゐるのを見ると厭になることがある。よく、さほどの役柄でないからとでもおもふ怠りからでもあらうが、仕出しの老婆《おばあさん》が、振りのぶら/\する、袖の長い着物を着てすましてゐたりするが、往來でも無自覺にめかしてゐる女《ひと》が多く目につく。身にそぐはぬことを知らぬ女よりも、身にそぐふといふことが、心の目に感じられぬはうが多いのではないかと思ふことさへある。や
前へ 次へ
全8ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング