ともあるにはあるが――とも角、美しい美しくないからいへば、當今ほどきれいな女は多くなかつた。目にもつかなかつた。町は一たいに黒つぽかつた。
ふと、思ふと、下町娘の美より多く、わたしは年増の美の方が目に殘つてゐる。年増の美は下町の粹《すゐ》だつたかともいへる。洗髮の凄艶なる姿――
本所に住む、角力の髮を結ふ職人があつた。その人が年をとつてからの思ひ出ばなしに、ある夕立の日、本所の裏町にすんでゐたが、外から駈けこんで、いきなりガラリと長屋の板戸をあけると、土間の薄暗がりに、すつとたつてゐた人影がある。アツといつて立ちすくむと、その人は笑ひながら出て來て、
「すまなかつたねえ」
といつた。キモを落付けて見ると、拔けるやうな美女!
――拔けるやうなといふ譬をよく美女の場合にきいたが、一枚繪から拔けだしたといふのか、魂がぬけだしてきたといふのか、ともかくおもしろい言葉である――
白張傘《しろはり》をひらいて雨の中にその女が出てゆかうとする。外は溝板が浮いてるやうな大降りだ。ものどりでないことは、その女の風姿《すがた》と、自分の家の貧しさでも知れてゐるので、
「傘の中より洩りますが、し
前へ
次へ
全8ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング