つくり[#「おつくり」に傍点]そのものではない。
だから――と、いふ、いま、江戸の下町娘をもとめるのなら、日本中いたるところに見出し得られる。ことに、近代東京においてもかなりにある。斷髮《ポツプ》の中にも、洋服の中にも、工場にも、裏長屋にも――ことに思想運動の婦人の中に、その面影を見いだす。ただ悲しいことに、過去の下町娘は氣凛において實にめざましいものをもつてゐたが、なんにも知らなすぎた、頭がからつぽだつた。
情熱の女にも、幾分の理智をもたさなければ現代に生きてゆけはしない。いま、もし、現代の下町娘を選べといへば、朝の學校通ひの娘の中に、工場に腕を出して働いてゐる娘の中に、明敏な瞳をひらき、胸をはつた、あんまり白粉つ氣のない娘を求めだすだらう。それが最も近代的な、そして力強い未來をたのむことの出來る、代表的な東京娘である。
それから、くだけていへば下町娘は決して美人ではない、感覺的にも性的魅惑はもつてゐない。むしろ、そんなものが八ツ口からでもこぼれでたら恥づべきだと思つてゐるところがあつた。自然の色氣――それは避けないが、殊更に、女の匂ひを利用しようとはしなかつた。情にもろいこ
前へ
次へ
全8ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング