ある女であつた。
では、富裕の町人の娘たちはどうであつたかといへば、お姫さまより顏が美しかつたといへよう。おんなじやうな深窓の育ちではあるが、その人たちのおつくりには、上方づくりの濃艶さがあつた。芝居では、油屋お染とお半の扮裝が代表である。大問屋、大町人は阪地《かみがた》に關係が深いので、店の制度も奧向きの方も、阪地の富豪とさう違つてはゐなかつた。
私はむしろ、山の手とよばれた武家の家族の中にも、凛とした梅の花の、下町娘と共通のよさ[#「よさ」に傍点]を感じる。山の手が野暮になつたのは明治維新に、諸國入亂れの士族さんのグループに占領されてからであらうと思ふ。質素な、白丈長をキリリと島田の根にまいた、紫矢がすりに黒じゆすの帶、べつこうの櫛に銀の平打《ひらうち》一枚、小褄をキリリとあげた武家の娘のいさぎよさは實に清艶である。下町娘でなければ、江戸の美をとどめないやうにいふのは半可通ではあるまいか。それと同時に、現今でも、下町にいつたら――もしくは、昔風の下町づくりをしてゐるから、もはん的下町娘だといふのはあやまつてゐる。下町娘は心意氣である。江戸生れの氣質を代表した名なのである、單にお
前へ
次へ
全8ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング