話をきくことも多くなって、清子も小説を書こうと思いたったりしはじめた。
 一ツ石鹸箱《シャボンばこ》をもって、連立《つれだ》って洗湯《おゆ》にゆくことも、この二人にはめずらしくはなかった。男湯の方で、水野|葉舟《ようしゅう》や戸川|秋骨《しゅうこつ》氏と大声で話合っているのを、清子は女湯の浴槽《ゆぶね》につかってのどかにきいていることもあった。今日も、一足おくれて帰ってくると、家《うち》のなかで女の声がしていた。
「いま現金がないから、そのうち金のある時に返すといっているのに。肯《き》かないのか。」
と、言っていたが、
「さあ、これが証文だ。」
 何か書いて渡している様子だった。帰してしまうと、六畳の部屋へ顔を差入れて、化粧をしている清子の鏡のなかへ、自分の顔をうつしこんだ泡鳴は、
「彼女《あれ》だよ、放浪(小説)のモデルの女は。缶詰事業のとき、彼女《あいつ》の着物も質に入れてしまったので、返してくれといって来たのだ。金がなければ、証文にしろといって、持っていった。」
 清子は、今帰っていった女のことなどは、あんまり気にならなかった。鏡にむかって、鬢《びん》を掛きながら、思いだしていたのは、いつぞや、此処へ来て間もなく、やっぱりお湯から帰ってくると、主客の問答を、襖越《ふすまご》しにきいた。
「まだか?」
「まだだ。」
 その時の客は、正宗白鳥《まさむねはくちょう》氏だったのだ。泡鳴氏の友達の方には、もっと手厳しいのがあって、ハガキで、そんなことをしていて、清子に男が出来たらどうするとか、彼女は生理的不具者なので、よんどころなくそうしているのだろうなぞといってきているのもあるのだった。
 清子には、そんなことはなんでもない非難だと思えた。それよりも辛抱のならない女客があることが厭《いや》だった。それは、泡鳴氏の先妻|幸子《さちこ》だ。三年前から別居しているという彼女は、冷やかな調子で、
「私は、貰《もら》うものさえ貰えば好《い》いんですからね。どうせ、この夫《ひと》とは気が合わないんだから、この夫《ひと》はこの夫《ひと》で、勝手なことをなさるがいいんです。あなたとは、気があっているそうだから結構でさあね。」
 永遠性を誓えない邪恋を押退《おしの》け純一無二のものでなければならないと、賤《いや》しむべき肉の恋をこばんで、苦しむ身に投げつける言葉のそれは、まだ忍耐《がま
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