ろうと、家《うち》のなかを見廻して清子は言った。
「とにかく、同棲しても、まだ友人関係なのですから、あたしの寝間《ねま》は、此処を茶の間にして、そっちの六畳ときめますから。」
「では、僕は、八畳の方か。あすこ、客間だね。」
と泡鳴氏はいった。二人は寒い、なんにもまだ置いてない室《へや》に眼をやった――その寝間から、いびきは洩《も》れてくるのだった。
「あんなに、泣いたり、怒ったりしても、よく寝られるものだ。」
清子は毎夜のように持ちあがる、二人の間の暗闘――許す、許さぬの絡《から》みあいを思った。俺《おれ》は腹を切るといって怒るかと思えば、これほど熱愛を捧《ささ》げる誠意を酌《く》まないのかと泣く男が、枕《まくら》につくと、ぐっすりと寝てしまうのを、不眠症になってしまって、朝まで眠れない自分とを思いくらべた。
――けれど、だんだん私は岩野を好きになっている。
と思わないわけにはゆかない。けれど、恋愛《こい》の芽もまだ宿してはいないと、心で頭《かむり》は横に強く振った。
そんなことを思う傍らで、まだ移転《ひっこし》の日のつづきを思い出しているのだった。翌日に着いた泡鳴の荷物は、荷車に二台の書籍と、あとは夜着《よぎ》と、鉄の手焙《てあぶ》りだけだった。
「僕は、なにしろ、蟹《かに》の缶詰《かんづめ》で失敗したから、何にもない。洋服が一着あるのだけれど、移転《ひっこし》の金が足りなかったから、質《しち》に入れてしまった。」
その費用の幾分でも、分担しようと、清子が銀時計を出すと、
「君の品《もの》なんぞ出さなくったって好《い》い。何しろ、樺太《からふと》で、蟹の缶詰で一儲《ひともう》けしようと思ったのだが――蟹はあるが、缶の方がうまくいかなかったんだ。」
彼はてれくさく、笑いながら言った。
――良《い》いところのある人だ――
清子は頬《ほお》をおさえた手に、頬骨がさわる気がした。毎朝見る鏡に、眼ばかり大きくなってゆくのがわかるのだが、こう段々に、夜が苦しいものになって来ては堪《たま》らないし、眼のさめた瞬間の心さびしさも、朝々ごとに、たまらないものに思った。
腕力をもってくるなら、反抗する決心もあるが、沁々《しみじみ》と訴えられるのは愁《つら》い。自分の思想を守るのに、そんなことで屈伏したり、陥落は出来ないとも思った。
最初の「霊の恋」の対手《あいて》の
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